長谷川眞理子

人間は進化していない。言い換えるなら、生物として特に進化する必要がなかったということでもあります。なぜなら、人間の脳は抽象的・論理的な思考が可能であり、しかもそれを他者と共有できたから。身体ではなく文化環境を進化させたからです。 例えば石器のような道具一つにしても、誰かが使いやすい形を考案して周囲に披露したら、「ここをこうした方がいい」「こうすれば効率的に作れる」といった議論になり、あっという間にもっと使い勝手のいい石器になるでしょう。そうなれば、誰もがそれを使ったり、さらに改良を加えたりするはずです。つまり、文化が浸透するスピードは極めて速いわけです。 あるいは、クマが北極圏で暮らせるように白いホッキョクグマに進化するまでには、何百万年、何千万年という長い年月が必要でした。しかし、イヌイットの人たちが北極圏に進出するために生物的に進化したということは、ほんの少ししかありません。毛皮を着るとか、雪で家を造るといった知識や技術や文化で対応できたからです。 おそらく今後も、人間の脳が生み出す文化環境はどんどん変化していきますが、生物としての進化はあまりないのではないでしょうか。むしろ運動の機会が減れば骨密度は低くなるし、メタボリック・シンドロームにもなります。また、必要な情報をすべてスマホに入れるようになれば、記憶力も落ちるでしょう。 いろいろ自動化やアウトソーシングが進んで自分の時間が増えるかもしれませんが、その時間に何をしているかといえば、たいてい遊んでいるだけ。でも、このような変化によって「退化」のようなことが起こっても、そのほとんどは個体の成長における可塑性による対応であって、進化ではないと思います。